寝ながら学べる構造主義

 

 

「人によるよね」って言う人多くないですか?

ある意見が絶対的に正しいことはない、という考え方は構造主義と呼ばれ、今では常識となっている。でも、それが常識になったのはごく最近のことだという。p25

・米のベトナム戦争
・日の満州国、で両方の立場から見る人間は少数だった。つまり、非構造主義

一方、
・仏のアルジェリア戦争では、サルトルが植民解放を理由に仏を弾糾した。カミュは判定できないとして孤立した。


言葉を崩せば、相手の立場になったつもりで物事を考えよう、というのが構造主義的な考え方。

その上で、どちらかに絶対的な正義があるはずだとサルトル的か、絶対的な正義があるとは言えないとカミュ的になるかの差異はあると思う。現代はカミュ的な人が多い気がするけど

 人によるよねって考え方は、他の意見も考慮する点において、良い面も悪い面もある。

 良い面は、自分優先の自己中マンにならずに済むということ。現代の日本人の多くはこっちで、みんな他人の意見を尊重しようとする。

 一方、悪い面は他の意見を気にしすぎて、決定が遅れたり、決定できなかったりすることが起こる。

 

 

構造主義的な考え方が、世間にとって常識となった今はポスト構造主義期と呼ぶらしい。

構造主義を持ってる時代なんだから構造主義期でいいじゃん、ってなんか不思議に思ったけど、
多分こういうイデオロギーが浸透しつつある時代と、浸透して意識されなくなった時代を区別して、ポストと呼ぶのだろうと思う。

 今、俺たちは何を意識してるんだろう?

 たしかにみんなの意見を尊重することはいいことだ。でも、それで重要な決定を先延ばしにするのは疑問。だから、ある程度他の意見を聞きつつ、自分の直感した考えに基づいて行動するように俺はしているかもしれない。

 これは、考え方に依存してるかも。つまり、完全合理的な判断は俺たちにはできないし、直感は結構いいこともあるよっていう考え方。Intellectualism とVoluntarism のあいだみたいな。

 

ちなみに、ポスト構造主義期の終わりは、みんなが飽きたら終わると考えられている、らしい。

かつてマルクス主義が支配的なイデオロギーだった時代では、それを誰かが批判しきった事実はない。だから、現代でもマルクス主義は有効なのだけれど、みんな飽きたから終わった笑 p21

 というか、他人の意見尊重しすぎてもダメじゃない?みたいに、イデオロギーが万能じゃないことにみんな気づき始めたときに崩壊し始めるんだろうな。

 そもそも飽きるってなんだろう。

 

マルクス主義

人間の個別性を形づくるのは、その人が何者かではなく、何事をなすかによってきまる、という考え方。

何者かは存在することを重視した考え。与えられた状況の中で静止して、自然的な立場に甘んじる。これは堕落である、という考えはヘーゲルから受け継がれている。(ここ数年では、これに批判的な考えを持つ人が若者に多い気がする。村上春樹、養老先生の本が売れてるのはこれが背景じゃないか、と思う)